柳生心眼流兵術

柳生心眼流兵術について(鈴木専作先生)

 柳生心眼流は竹永隼人(十八世紀頃)からはじまるといわれています。竹永隼人 は仙台の生まれで、いろいろな流儀を学んだ後に江戸に上り、柳生但馬守のところで内門 人として働きながら三年修業して帰国し、自らの工夫を加えて柳生心眼流と号して有志に教えたといわれています(星勝雄氏の詳細な研究があります)。父はその系統をひく星貞 吉(1821〜1898)の流れを組んでいます。星貞吉は宮城県栗原郡新田村に生ま れ、若くして郷里の佐竹勇三郎や佐沼の相沢道場で学んだ後、各地方を訪れて研究し、出羽の処士加藤権蔵に学んで心眼流の宗を得たといいます。いろいろと修業し研究を加え、 心眼流の基礎を大成させ、多くの門人を養成し、心眼流中興の祖と仰がれています。

父へ の系図は、

星貞吉、高橋彦吉、鈴木兵吉、鈴木専作、佐藤金兵衛

星貞吉、高橋彦吉、加藤彦吉、鈴木専作、佐藤金兵衛


とながれ、現在、佐藤金兵衛から佐藤茂、只野正孝、小町幹夫、山田実、地曳秀峰、出井朗夫、森田剛、伊藤秀賢、鬼沢善助、国井正、臼井真琴、石井敏、高橋伸司、堀米秀夫、佐藤敏行、鈴木等、島孝重、桑山 弘誓、加藤聡(順不動) へとつがれています。 

 柳生心眼流は現在、宮城県登米郡迫町新田の、星精一氏を中心に宮城県北一帯に広く行われています。仙台では佐藤金兵衛門下の只野正孝師範が佐藤茂師範の後見のもとに後進の指導にあたり、中国拳法もあわせて教伝しています。おなじく仙台近郊の多賀城市には、鈴木等師範の後見のもとに東海林、庄子、宮城の各師範が武道館を 中心にその普及を行っています。東京では、父が昭和三十三年上京してから、教伝を開始 し、日本古武道と診療のかたわら中国拳法とともに修業しています。心眼流の振りは必須 科目として中国拳法専修者の全員に必ず行わせています。父が柳生心眼流の免許皆伝を得たのは昭和二十四年八月のことで、動乱の中国大陸より帰国して間もなくのことだそうで す。父がいうには柳生心眼流は他流の柔術と全く面目を異にし、野戦の実用の法であると のことです。殺気満々として見敵必殺、猛烈な気魄で圧倒震駭し去るほどだといいます。 このような勇壮活発な流儀は他にその比を見ないとものであり、往時の勇者の野戦往来を 目のあたりに見る思いがするといいます。素振り三年刃の如し、と云われる振り打ちは年 を経るに従って妙味を増し、一打ちで敵の腕も砕くことが出来るとのことです。

 

柳生心眼流兵術のすすめ

会長 佐藤柔心齋

 柳生心眼流兵術は佐藤金兵衛翁が最も好んだ武道の一つであり、当道場では、各クラスの必須科目となっています。柳生心眼流の敵を制する掛け声による気迫の激しさ、また、"素振り三年、刃の如し"と言われる肩を中心に遠心力で振り降ろす拳の当身の破壊力は、他の流派の追随を許さない武術といえます。さらに、左右の振りから連続して行われる当身拂いは、敵からの攻撃を封じる威力もあり、これらの博打が、柳生心眼流兵術の特徴なのです。また、この素振りの破壊力は、女性や子供、中高年の人にも実践の護身の術としても修得が充分可能な技といえます。当道場では練習時においても必ず、大きな掛け声をかけて稽古をしますが、これは敵の気概を挫くと同時に自らの気力を充実させ、最大のパワーを発揮するためのものでもあるのです。更に稽古を重ねることによって気迫を以って敵を倒す術も身につき、気力にともなって自然と体力もついてくるのです。 佐藤翁が柳生心眼流を当道場の稽古の必須科目にしたことが門人諸氏にも理解できる事でしょう。技は簡単であればある程、習得は難しく厳しいものですが、門人諸氏は、佐藤翁の気迫と技を受け継ぐべく、しっかりと志を新たに更に稽古を継続してほしいと思います。