八卦掌

八卦掌について(李子鳴先生、裴錫栄先生)

 八卦掌は董海川先生(1797〜1882)のはじめた拳法です。董海川先生は名を 海、のちに海川と改めています。河北省文安県二十五里朱家塢村の生まれです。幼い時か ら武術を好み、各派の拳法や武器法を学び、性質は豪快で任侠心に富み、義を重んじたとい います。良師を求め、各地を旅して歩き、安徽省九華山にいったときに、華澄霞(紅蓮長老)と出会ったといいます。一説には雲盤道人ともいわれています。董海川先生は彼につ いて八年間武術を習い、別れるにあたって師がいったことは「わが道は転掌をもって体と なし、拳械(拳法と武器法)をもって用となす。学んでこれを習いこれに参ず。功そのき わに造れば(いたれば)天下に無敵なるべし。独りその体を善となすべし」ということだ そうです。董海川先生はついにその道を究め尽くしたといいます。また、師叔の郭元済の指導も受けたといいます。さらに、伏義氏の八卦と周の文王の八卦を学び、先天後天の易の 理から、八×八=六十四卦、六十四本の形を定め、その変化はきわまるところがないといわ れています。そこで、その転掌を「游身八卦連環掌」と名付け北京に行って教えたといい ます。
  董海川先生は鶏爪陰陽鋭と連子錘の二つの秘武器を愛用し、一度も敗れたことがな かったといいます。のちに粛親王に見出され、粛王府につかえて粛親王はじめ王府の人々 に教え、かつ警護の役についたといいます。六品の位を授けられたといい、武名が高く慕っ て入門する者が多く、程廷華、梁振圃、馬維斯、劉鳳春、宗永祥、宗長栄、尹福などが有名です。形意拳の李存義、張占魁も董海川先生の門下です。光緒八年(1882)十月二十五 日、董海川先生は八十五歳の長寿で世を去られました。北京東直門外に葬られ、直門の人 たちによって4基の碑が建てられ、董海川先生の事跡と高弟の名が刻されています。この 墓も文化大革命の時に紅衛兵の手によって破壌されましたが、八卦掌の伝承者、李子鳴、 裴錫栄、周尊仏、沙国政などの努力によって、先生没後百年を記念して、1982年に北 京西郊の万安公募に立派に再建されました。

 八卦掌は中国拳法としては最も新しい流派で、拳を使わないで開いた掌を使うので「掌 法」、「八卦掌」、「転掌」などといわれています。八卦掌は易によって技の理を説き、 大極を象った円周の上を邁歩しながら八種の形を行い、この八種の型がそれぞれ応用さ れ、更に八法に分かれるので、易と同じく八卦の八倍、六四手のわざ(散手)に変化しま す。八卦掌は竜身といわれるたくみな全身のくねり(寧身、柔身)と軽妙な独特の歩法と 速やかな方向転換が必要なので、真伝を得るには長い年月を要するといわれています。ま た、鈎廉剣、子午鴛鴦鉞(いんおういつ)、鹿角刀、子午鶏爪鋭、風火輪、連子錘などの 珍しい武器を使い、全くの意想外の用法があるといいます。さらに、八卦掌の秘伝として は、董海川先生の真伝として三十六歌、四十八法歌訣などもあるそうです。これらの口伝 や原文は難しくて全く手が出ないそうですが、高弟のつけた解釈が伝えられているそう で、父はそれを日本語に訳したそうですが、易の理、中医学や道教などの基礎知識がない と理解は困難だそうです。父は、最初に王樹金先生に、陳伴嶺先生に伝えられた程廷華派の八卦掌(拳、棍、双剣)を学んだそうです。また、北京、周尊仏先生からは古い程派 の八卦掌を習ったそうです。少し形がちがっていたそうです。張一中先生から、尹福派の 拳、双頭鎗、単剣、単刀を学んだといいます。裴錫栄先生から、六十四散手、劉派八卦掌 などを学んだといいます。そして、北京八卦掌研究会会長の李子鳴先生からは、梁振圃派 の拳と各種の武器法、口伝などの伝授を得、「正宗八卦掌四世伝人」となったのです。

父 に至る系図を示せば以下のようになります。

董海川、程廷華、程海亭、(陳伴嶺、王樹金)、佐藤金兵衛
董海川、梁振圃(二世)、李子鳴(三世)、佐藤金兵衛(四世)
董海川、尹福、尹玉章、裴錫栄、佐藤金兵衛
董海川、尹福、張一中、佐藤金兵衛 

(注)父が最初に八卦掌を習った王樹金先生のものは、陳伴嶺先生へ直伝された程廷華派の八卦掌であったとのことです。上記系図はその意味で()をつけました。